江戸末期の天保2年(1831)2月8日、日本一低い山「天保山(てんぽうざん)」が完成しました。「天保山」は、大阪府大阪市港区の「天保山公園」にある、人工的に土を積み上げて造られた山です。標高4.53mで、国土地理院発行の地形図には「山」としてちゃんと記載されており、正式な山となっています。山頂には「二等三角点」があり、「天保山山頂」の標識もあります。全国に我こそが日本一の低山と名乗る山がいくつかありますが、この「二等三角点」の存在が「天保山」を「日本一低い山」としている証しなのです。江戸時代末期、大阪湾にそそぐ「安治川」の河口が堆積して廻船航行に支障が生じたので、幕府事業として2年の歳月と延べ10万1200余人を動員して大浚渫(しゅんせつ)工事が行われたのです。このときの捨土を盛り上げたものが出船・入船の目標となったので、これを幕府は「目印山」と命名しましたが、やがて大阪の人々は年号を取って「天保山」と呼ぶようになったと言うことです。完成当初は標高24mほどあったのですが、幕末に砲台を設置するために山を切り崩したことや、戦後の地盤沈下などで、現在は標高4.53mまで低くなってしまったのです。この「山」は今や公園と一体化しており、園内には山頂よりも高い見晴台があるなど、ワケのわからない存在となっています。それでも、平成9年(1997)に発足した「天保山山岳会」があり、”登頂後”の希望者に対し「登頂証明書」を発行しています。また同山岳会には「山岳救助隊」も結成されています。公園内で「天保山」を探して迷っていると「遭難ですね」と言って道案内してくれるそうですよ!?(2025.2/1) |