日本でも指折りの繁華街となっている、大阪市中央区の「道頓堀」界隈。この東西約2.9kmに及ぶ道頓堀(正式には道頓堀川)は人工の運河で、江戸初期の元和元年(1615)11月に約3年の歳月をかけて完成しました。河内(かわち)の大富豪商人であった「成安道頓(なりやすどうとん)」が私財を投じ、水運の発展や周辺地域の開発、河川の汚濁解消を目的として、東横堀川と木津川を繋ぐ運河として計画したものです。道頓は豊臣秀吉の許可を得て構想を練り、秀吉の死後、慶長17年(1612)、遺児・秀頼の代となってから本格的な工事を開始しました。しかし、大坂の陣(冬の陣・夏の陣)の勃発により工事は中断を余儀なくされます。秀吉に深い恩義を感じていた道頓は豊臣方として大坂城へ籠城しましたが、敗戦に伴い討死しました。その後、徳川家康の命により新たな大坂藩主として家康の外孫「松平忠明(ただあきら)」が着任します。忠明は道頓の後継者で従兄弟である「道卜(どうぼく)」に工事の継続を命じ、道卜は道頓の遺志を継いで工事を完成させました。当初は「新堀」と呼ばれていましたが、松平忠明が道頓の私財を投げ打った功績を讃え、「道頓堀」と命名しました。その裏事情は、豊臣の世が無くなっても今だ「太閤さん」と呼んで秀吉への追慕が残る大坂町民への懐柔策とも言われています。今日の道頓堀周辺は、グリコの巨大看板で有名な戎橋(えびすばし)を中心に昼夜を問わず人々が行き交う、大阪を代表する歓楽街として親しまれています。(2026.11/1) |