2024.6/15更新
〒507-0014岐阜県多治見市虎渓山町4-13-1 (とうしん学びの丘"エール"内) Tel.0572-25-5551 Fax.0572-25-5879 土・日・月曜日定休  

ただ今、エントリー受付中! 6月3日(月)〜7月1日(月)
2024
4/1
「公募・第26回美濃茶盌展」 公募要項
■エントリー期間=2024年6月3日(月)〜7月1日(月)
■搬入日=2024年7月6日(土)
■多治見展=2024年11月8日(金)〜11月17日(日)
■名古屋展=2024年12月25日(水)〜12月31日(火)
公募要項はこちら





2024
5/31
「花の器と手のひらサイズの焼き物たち」 多治見展
■会期=2024年6月14日(金)〜6月30日(日)
■会場=美濃陶芸協会ギャラリー ※会期中無休
※くわしくは下記イベント情報、またはこちら


2023
5/26

「ぐい呑み100展」名古屋展
■日時=2024年6月14日(金)〜6月23日(日)
■会場=ギャラリー碗[one]
 ※会期中無休
※くわしくは下記イベント情報、またはこちら

2024
5/7
「卓男賞」に加藤三英 (かとうみつひで)
■2024年度卓男賞に、加藤三英氏(土岐市)を選定
くわしくはこちら





展覧会名 「花の器と手のひらサイズの焼き物たち」多治見展
会期 2024年6月14日(金)〜6月30日(日) 10:00〜16:00
※会期中無休、最終日=15:00まで
会場 美濃陶芸協会ギャラリー
詳細 くわしくはこちら



展覧会名 美濃陶芸協会ギャラリー3周年記念 「ぐい呑み100展」名古屋展
会期 2024年6月14日(金)〜6月23日(日) 10:30〜17:00 
※昼休=13:00〜14:00、最終日=16:00まで
休廊日 会期中無休
会場 東海テレビ×美濃陶芸協会 ギャラリー碗[one]
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(詳細がわかり次第リンクします)
 駄知どんぶりまつり  2024年10月初旬頃
 美濃焼祭 2024年10月中旬頃
 たじみ茶碗まつり 2024年10月中旬頃
 陶の里フェスティバル in 市之倉 2024年10月中旬頃
 下石どえらぁええ陶器祭り 2024年11月初旬頃

■直営ギャラリーのご案内
公募展の仕組み変更
智子賞を新設
公益社団法人への移行

'24岐阜茶会 NEW
'24美濃陶芸協会小品展
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'24美濃桃山陶「青山茶会」 NEW
'2360周年記念美濃陶芸展
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'23年度卓男賞、智子賞

'22年度卓男賞、智子賞
'22第25回美濃茶盌展
'21第45回美濃陶芸展
'21年度卓男賞、智子賞
'20年度卓男賞、智子賞
'20第24回美濃茶盌展
'19第9回美濃大茶会
'19年度卓男賞、智子賞
'19第44回美濃陶芸展
'18第8回美濃大茶会

'18第23回美濃茶盌展
'17第7回美濃大茶会
'17第43回美濃陶芸展
'17年度卓男賞、智子賞

'16第6回美濃大茶会

'16第22回美濃茶盌展
'16年度卓男賞、智子賞

’15第5回美濃大茶会
’15第42回美濃陶芸展

'15年卓男賞、智子賞
'15第21回庄六賞茶盌展
'14第4回美濃大茶会
'14第41回美濃陶芸展

'14卓男賞・桔梗賞

'14第20回庄六賞茶盌展
'13第3回美濃大茶会
'13第40回美濃陶芸展
'13卓男賞・桔梗賞
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'13パネルディ…「文化の伝承」

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'13協会設立50周年にあたって
'12第19回庄六賞茶盌展
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'12第39回美濃陶芸展
'12第18回庄六賞茶陶展

'11東日本大震災チャ…陶芸展
'10加藤孝造名誉顧問、人間国…
'09JR多治見駅陶壁完成

慶応四年(明治元年・1868)6月15日、東征する官軍(新政府軍)に対抗すべく、「奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい、東北31諸藩)」が擁立した皇族・北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王が「東武皇帝(東武天皇)」として即位し、元号を「大政」に改元しました。能久親王は、伏見宮邦家(ふしみのみやくにいえ)親王の第9子として弘化四年(1847)に京都で誕生された皇族で、第121代孝明天皇の義弟であり、第122代明治天皇の義理の叔父でもあります。安政五年(1858)12歳の時、輪王寺門跡(りんのうじもんぜき、門跡=皇族が住職の寺)としての勅命を受け、その翌年に江戸へと下って上野「寛永寺(かんえいじ)貫主」を継承しました。そして迎えた幕末、戊辰戦争が始まり、江戸開城後、官軍と彰義隊(しょうぎたい、旧幕府残党)が戦った上野戦争が勃発。この戦いで彰義隊は壊滅し、その旗印とされていた当時21歳の能久親王は上野を脱出し、すでに奥羽越列藩同盟が形勢されていた東北へと向かい、冒頭に書いた「東武皇帝」に擁立されるのです。当時のニューヨークタイムズにも「日本の北部における内乱で新しいミカドが擁立され、日本には二人のミカドが存在する事態になった」と報じられています。ところが、9月15日に列藩同盟の中心であった仙台藩が官軍に降伏し、列藩同盟は事実上消滅します。即位わずか3ヶ月の「東武皇帝」の能久親王は京都へと護送され、蟄居の上親王の身分も解かれるという厳しい処分を受けます。明治3年(1870)、「伏見宮」として皇族に復帰。明治26年(1893)、日清戦争で日本に割譲された台湾へ近衛師団長として出征。現地でマラリヤを発病して薨去(こうきょ)。48年の波瀾の生涯を閉じました。列藩同盟は、能久親王を盟主に擁立したことは確かながら、「東武皇帝即位」は構想だけだったという説もあり、明治政府も無視しているため、維新における「あだ花」的存在になっています。(2024.6/15)



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