■「社団法人美濃陶芸協会」は公益社団法人化に伴い、「公益社団法人美濃陶芸協会」と名称を変更いたしました。省略形は「(公社)美濃陶芸協会」となります。今後ともよろしくお願い申し上げます。くわしくはこちら
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木曽源氏の「源義仲」(みなもとのよしなか・1154~1184)は、平安末期の武将で源頼朝(よりとも)の従弟にあたります。木曽山中で育ったので「木曽義仲」とも言います。1180年、以仁親王(もちひとしんのう)による平家討伐の令旨(りようじ・皇太子や親王など皇族の命令)を受けて挙兵。1183年、越中国・倶利伽羅峠(くりからとうげ)で平維盛(たいらのこれもり)率いる平家軍を破って入京し都を支配。1184年、「征夷大将軍」となり、「朝日将軍」とも呼ばれました。しかし、粗暴なふるまいが多く、不興を買った「後白河法皇(ごしらかわほうおう)」の策謀により、頼朝の命をうけた源義経(よしつね)率いる鎌倉軍に「宇治川の合戦」で破れ、近江国粟津 (あわづ・今の大津市)で戦死しました。この時、義仲とは乳兄弟にして幼馴染であった「右腕」の武将「今井兼平(いまいかねひら・巴御前の兄)」も、最後まで共に戦いましたが敗戦を悟って自害しました。時に寿永3年(1184)1月20日、鎌倉幕府成立間近のことでした。義仲軍のわずかな残党は、故郷木曽へ向かうのですが、鎌倉軍の追撃が厳しく、主なき「今井兼平」一統は今の岐阜県多治見市諏訪町に辿り着き、この地に隠棲しました。ここは多治見市の西の端、愛知県春日井市との県境にあたる山峡の集落で、周辺から隔絶した絶好の隠れ里です。人口の半数が今も「今井姓」を名乗っていて、集落の外れの林の中に、今井兼平の供養塚がひっそりと祀られています。彼ら落武者によって近隣の農民に「棒の手」と呼ばれる武術が伝えられ、今も毎年秋にこの地の諏訪神社に奉納演舞が行われ、八百有余年前の出来事を伝えています。(1/15)