明治3年(1870)9月19日、戸籍整理のための「太政官布告」により、一般庶民も苗字を名乗ることが許されたのがこの日です。明治以前の庶民は、苗字を持っていなかったわけではなく、公式に使うことが禁じられていたのでした。しかし、庶民は江戸時代からの流れで、苗字がなくても不自由しなかったので、苗字を名乗ろうとはしませんでした。そこで、明治8年(1875)に、すべての国民が苗字を名乗ることが義務づけられたのです。ところで、美濃焼の産地、岐阜県東濃地方は、「加藤」姓の多いところです。「加藤」姓は、現在全国ランキング10位(約867,000人)で、とくに東海地方に多く分布しています。中でも、岐阜県と愛知県の県境付近の東濃地方と尾張地方には「加藤」さんが多く、岐阜県で第1位(約33,600人)、愛知県で第2位(約174,000人)の苗字ランキングとなっています。この「加藤氏」の初代とされているのは、平安中期の武将で「河内源氏」の棟梁「源頼義(みなもとのよりよし)」に仕えた武士「藤原景道(ふじわらのかげみち)」です。彼は、「加賀国」の行政官「加賀介(かがのすけ、次官)」に就任したことから、「加賀の藤原」を略して「加藤」を称するようになったとされています。その後、鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」に仕えて鎌倉幕府の要職に就いたものの、幕府内の権力争いに敗れて、当時所領のあった「美濃国」に移り住みました。そして、そこで「加藤」姓が爆発的に広がったのです。実際、戦国時代の熊本藩初代藩主「加藤清正(きよまさ)」や伊予松山藩初代藩主「加藤嘉明(かとうよしあき)」をはじめ、歴史上に登場する加藤氏の多くが、東海地方出身で「美濃の加藤氏」の末裔と伝えられています。(2025.9/15) |